39歳・はじめての流産(2)〜小さなお産・自然排出の経過〜

妊娠・出産

稽留(けいりゅう)流産からの自然排出

39歳、3度目の妊娠。

9週目を迎えるも、残念ながら心拍が確認できず、私は「稽留(けいりゅう)流産」の診断を受けた。

その翌日、自然排出がはじまった。

自然排出の経過

  • (1日目)夕方:
    出血量が生理2日目よりも多くなり、子宮がキリキリと痛み出す。
  • (1日目)21時ごろ:
    陣痛のときとよく似た、骨盤がカチ割れるような痛みに襲われる。
    仙骨周りを夫にさすってもらいながら、横になる。
    激しい子宮の収縮が続く。
  • (1日目)深夜1時ごろ:
    痛みが少し和らいでくる。
    腹部と膣に力をいれると、ブルっと塊が出た感触。

    夫と確認すると、卵ふたつ分くらいのレバー状の塊だった。
    きっと胎嚢に違いないと思い、手を合わせてトイレに流す。
    その後も不規則な子宮の収縮が続く。
  • (1日目)深夜2時ごろ:
    痛みと出血量が増す。
    痛みで横になっていられず、起き上がりうずくまると、前より大きな塊が出た感触。

    家族は寝静まっており、貧血でフラフラしながらもひとりトイレへ向かう。
    前より3倍以上大きいレバー状の塊を確認。
    手を合わせてトイレに流す。
    しばらくトイレでうずくまり、動けない。
  • (1日目)深夜3時ごろ:
    なんとか寝室に戻るも、子宮の収縮が続き、全く寝付けない。
  • (2日目)朝7時ごろ:
    いつのまにか眠っていたようで、朝を迎える。
    激しい痛みは無事に引いており、スッキリとした感覚を覚える。
    生理2日目くらいの多めの出血が続く。

    その日は自宅で安静に過ごし、翌日に産婦人科を受診することにする。
  • (2日目)23時ごろ:
    次女をおんぶで寝かしつけていると、下腹部に痛みを覚える。
    トイレで腹圧をかけると、卵ひとつ分くらいのレバー状の塊が出る。

自然排出後の診察

3日目になると、痛みや出血も随分と和らぎ、普通サイズの生理用ナプキンで対応できるくらいになった。

産婦人科を受診し、エコーで子宮内の様子を確認してもらうと、「無事に」というべきなのだろうか、胎嚢はしっかりと排出されていた。ただし、内膜が少し残っている状態とのことで、出血の様子を見ながら1週間の経過観察となった。

本来ならば、2日目の時点で受診をするのが流れだったかもしれないが、ツラい時に無理に病院へ足を運ぶのは本末転倒という考えから、一日安静にすることにした。

結果として、スムーズな回復に繋がったので良かったと思う。何事も、無理をするなかれである。

自然排出された子宮内容物の処理について

排出された子宮内容物については、産婦人科へ持参し、病理検査をする場合もあるようだ。気になる場合は、事前に医師へ確認するとよいだろう。

私たちの場合は、今回は不妊治療を経ての流産ではなく、はじめての流産ということもあり、自己判断でトイレに流す選択をした。その後、体調が回復した後に、地元の神社を参拝した。

もちろん、心拍確認ができなかったからといって、命には変わりないという考えから、トイレに流すということに抵抗を覚える人もいるだろう。個々に納得のいく方法を模索してもらえればと思う。

流産(自然排出)からの回復

流産に伴う出血が止まるまで

自然排出後2〜3日は、貧血のような全身の怠さに襲われ、時おりドバッと出るような出血が続いた。家事は最低限にとどめ、次女の授乳や昼寝に合わせて横になって休むように心がけた。

7日目になると、出血は茶オリ程度におさまり、身体的には普通の生活ができるように。

そして、自然排出から12日目。産婦人科を再受診し、子宮内膜がきれいに排出されていることを確認。次の生理が順調に来れば、問題ないだろうという医師の所見だった。

一方で、精神的には、しばらく安定することはなかった。スキンシップがいつも以上に必要だったし、古いものをすべてを出し切りたいという衝動に駆られてヘナ染めをしたりと、落ち着かない日々を送っていたように思う。

生理の再開と回復

回復の目安とされていた生理は、自分の周期に合わせて、きっちりとやってきた。こんなにも生理を待ちわびたのは、もしかしたら人生で初めてかもしれない。

身体の回復を確認して、安心したのだろう。この後、やっと徐々に気持ちも上向きになっていった。

いや、正直なところ、改めてアラフォー子宮の驚異の回復力に感心していたんだと思う。自分の身体の頑張りに勇気をもらって、気持ちを引き上げられたような感覚だ。

「アラフォー、まだまだいけるじゃん!」

年下夫のそんな茶化しも、この際、本気で受け止めておくことにした。次の妊娠にも前向きに、されど執着せず、流れに身を任せて楽しんでいきたいと思えるようになった。

「流産」を経験して考えること

流産は「小さなお産」

「流産は小さなお産」という文言をどこかで聞いたことがあった。

私の経験した流産の過程は、まさに「小さなお産」だったように思う。陣痛よりは遥かに軽いものの、痛む場所も、痛みの質も、その流れも、とてもよく似ていた。

決して、この痛みや経過をたどることが「正しい」とは考えていない。これは無痛分娩の是非を問う議論のようなもので、正解など見えないものだと思う。それぞれが、「妊娠」「出産」、しいては「性」というものについて、どのような哲学を持つのかが重要だ。

少なくとも、「自然なお産」というもを大切にしている私にとっては、今回の「小さなお産」は最良の選択だった。このお産を経験することで、このお腹の中に小さな命が確かに在ったということをより実感することができたしたし、その命を終えた事実もきちんと受け止めることができた。

外に出ることを選択した赤ちゃんの営みに、家族みんなで寄り添うことができ、自分自身の心の整理ができたことは、非常に意味のあることだった。

稽留流産と診断されたすべての女性に、詳細かつ客観的な情報が提供されればと願う。そして、冷静に判断するための周囲の心的サポートも必要だろう。きちんと「納得のいく選択」ができるように。

「流産」という可視化されずらいダメージを想像する

いずれにせよ、「流産」という経験は、心身ともに大きなダメージを女性に与えるものだということを、私は強調したい。

妊娠初期の流産は、そのほとんどが胎児側の染色体異常によるもで、母体や環境の影響を心配する必要はないそうだ。全妊娠の約15%が流産という統計もあり、多くの妊婦が経験することとも言われている。

しかし、だからと言って「多くの女性が経験すること」=「何でもないこと」では決してない。

ほんの少し、想像してもらえたら嬉しく思う。

妊娠したことを周囲に告げる前に、大切な命を失い、何事もなかったかのように日常を送らなければならない女性が、実はあなたのごく身近にもいるかもしれないということを。

妊娠・出産のように、可視化されることがほとんどない「流産」。女性にとっては、妊娠・出産と同じくらいに、人生でとてつもなく大きな出来事なのだ。

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筆者
Roma

2児の母。結婚、事実婚、シングルマザー、年下パートナーとの再婚を経て、ありのままの自分で居られる場所にたどり着きました。
遠回りな人生の中で思考してきたアレコレ、パートナーシップ、子育て、海外での教育などについて、これまでの経験をもとに綴っています。
どんな出来事にも学びあり。すべての女性がナチュラル&ポジティブに人生を謳歌できますように!

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